かくりよ書房夜明け分館

服飾、文芸ほか雑記

勝ちと負けの話 ~なぜ窓口で人は怒鳴るのか雑考~

 

 前職はお金に関する事務の窓口担当でした。およそのお客様は穏やかにいらしてくださり、分からないところをちょっと申し訳なさそうに聞いてくださり(全然気になさらなくていいのに! と思いながらお話をさせていただいていた)、説明を終えればお礼を言ってくださり、穏やかにお帰りくださっていました。あの時窓口でニコニコしてくださったお客様の全員にお礼を言いたい気持ちがある。めちゃめちゃある。全然ある。ありがとうございました。仕事が楽しいということを教えてくださったのはあの時のお客様全員だと思う。

 

 が、窓口にはいろんなお客様がいらっしゃり、八、九割五分が上記の菩薩だとするなら残りのお客様は菩薩以外です。書類不備について(お手数をおかけするお詫びも交えつつ)説明すると机を叩かれたり怒鳴られたり、根拠となる法律を提示しながらお話をさせていただいても「そんなものはない」「だって俺が知らないんだから」と言い放たれて対応していた複数人(クレーム対応の基本は単騎で迎撃しないこと)で一気に絶句してしまったり、いろいろなことが発生しました。あのあたりのお客様の一部分と接していてぼうっと考えていたことがいまさらまとまった気がするので、覚書程度に投下します。

 

【ものの考え方の軸が『勝ち』『負け』だけの人が存在する】

 

 暴言を吐く、怒鳴る、机を叩く、といった行動を取られるお客様の応対を見ていて、不思議だと感じることがありました。お客様の目的がだんだん「自分が損をしない」ではなく、「窓口で応対している人間の言うことを聞かない」へシフトしていく場合があったことです。
 ある手続きをしないことで金銭的に損をすると伝えても、その説明をした相手の言うことを聞いて損失を最小限にするのではなく、「俺が間違っているというのか」「余計なことを考えるな」「俺の言った通りにしていればいいんだ」と応対した人間を怒鳴りつける。
 「お客様はそもそも損をしたくなくて問い合わせをしてきている」という前提が頭の中にあったために、お金を一部失い自分の心証を悪くしてまで(心証が悪いからなんだこっちは客だぞ、という考え方も無論あるとは思うのですが)相手に言うことを聞かせる、という行動に、謎が深まるばかりでした。

 のちに実際に応対をしてみて思うようになりました。

 おそらくそういった方の中では、「金銭的な損をする」ことより「相手に負ける」ことの方が怖くて辛いんだろうな、と。

 

 とにかく相手に言うことを聞かせたい。相手がどんなに正しかろうがそれによって自分にどんな不利益が降りかかろうが、目の前の人間を、今この瞬間、屈服させたい。 これは裏返せば、自分が相手の言うことを聞くことが強烈に怖いということの表れではないのか? と思いました。

 相手の言うことを聞くこと、自分が間違っていて相手が正しいのを認めることは負けであり、負けた瞬間人生が終わるくらいの恐怖と損失を感じる、だから相手を屈服させて言うことを聞かせる。その結果自分がどんなに損をすることになっても、その損を認識しなければその人の中では「勝ち」。

 完璧主義をこじらせるとここに辿り着くのではないか、という気もします。

 自分が間違えるということが恐ろしくてならないから、それを人生から排除しようと思うと、間違いを指摘した人間の存在が許せなくなるのではないか。

 

 感情と合理性のバランスを欠くこと、自分の生活でもしょっちゅうあることなので、書きながら自戒で胸が痛いです。感情をないがしろにしていいわけでは無論ない。納得と安心は、個人的には一番大事だと思っています。ただ、その場で自分の留飲を下げるためだけに、咄嗟に考え付いた行動をとるべきかどうか。こいつのことはめちゃめちゃ嫌いだけど言ってることはもっともだ、というタイミングは、できれば発生してほしくないけどままあることです。
  お前のことめちゃめちゃ嫌いだけど、をかっこに入れて、穏やかに「ありがとう」を言って、正しいことをして、正しいけど嫌いな相手とは静かに距離を置く、が理想なのは分かっている。そこで嫌いな相手の言うことを聞くのは別に負けではないし、むしろ益のある勝ちです。負ける人の存在しない、平和な勝ち。
 一拍、深呼吸して考える余裕がほしい。