かくりよ書房夜明け分館

服飾、文芸ほか雑記

引き籠った家でしていること2020春

 

〇爪の甘皮を処理しやすりをかけて色を塗る

〇中学地理のやりなおし

〇家族の留守を見計らってひとりカラオケ(歌ったことない曲を中心に)

〇戯曲形式の本を借りたり買ったりしてひとり演劇(台詞はおぼえる)

〇ポップオーバーをつくる

〇カスタードクリームをつくる

〇ピザを焼く

〇不要な機械を解体して埋め立てゴミにだす

〇中学国語文法のやりなおし

TRPG

〇友人と画面共有を使ってインターネットで服を勧めあう

〇部屋の模様替え

〇異常な手数を掛けて手足を保湿する

〇香水の通販サイトを眺めて妄想を膨らませる

Wikipediaの記事から記事へ文中のリンクを伝ってジャンプしながら調べて回る

〇筋トレ

〇ラジオ体操第三の練習

ゆるキャン△を見通す

〇プロフェッショナル仕事の流儀をひたすら見る

ドキュメント72時間をひたすら見る

 

いつかこのまとめを見返して「あんなことしてたなあ」を、外で、できたら友人と飲みながら、のんびり振り返ることができますように。

買って5日で新品のiPhone6Sが死んだ話

 注意:この記事はスマートフォンや機械に関してド素人の一般人が書いています。鵜呑みにせず、自分の身に何かあった際はご自身の責任で公式や信頼できる情報源に当たってくださいますようお願い申し上げます。

 

 ケータイ代金を安く上げたいと思ったんですよね。

 弟が大手キャリアからサブブランドに乗り換え、結果8千円を超えていた月々のスマホ通信料が2千円台まで落ちたと聞きました。毎月6千円浮いたら年間7万2千円浮くじゃん。ちょっとした旅行に行けるじゃん。

 ということで、新生活目前の今年3月はじめ。意気揚々と変更先のキャリアを選択し、ついでに電池持ちが悪くなってきたスマホも買い換えようかな、と思ったわけです。

 当時の利用機種はiPhone5S。8以降にするとイヤホンジャックがなくなると聞いており、寝る前にイヤホンでラジオを聴くのが習慣になっていた私には若干痛い。移動先キャリアのショップには7か6Sが用意されており、私はそんなに下調べもせず、なんとなく軽い気持ちで6Sを選びました。正直5Sで困ったことはほぼなかったし、6sもそんなに変わらんだろうと思ったのです。

 結論から言って大違いでした。

 私の5Sは複数回水没し数えきれないくらい落としている(しかもカバーも保護フィルムもなし)のに、使用4年目に突入せんとする今でもそこそこぴんぴんしています。電池持ちが悪いのと画面がなんか浮いてきてカパカパする、カメラレンズに入り込んだ埃のせいで写真に毎回謎の黒点が写ったりはしますが。

 

 6Sは5日で二度と電源が入らなくなりました。短い命でした。

 

 様子がおかしくなり始めたのは使用3日目から。前日までまったく問題なくログインできていたはずのWi-Fiに繋げなくなりました。十数回試してもダメでしたが、Wi-Fiの不具合は割とよくあることなので放置していました。

 しかしその日の夕方から、急激に電池持ちが悪くなり始めました。満タンまで充電してほとんど使わなくても、2時間程度で残量は20%を切りに行く勢い。流石におかしいと思って調べたのが翌日。どうやらiPhone6Sに載っている電池にはあたりはずれがあり、自分のところにやってきた6Sの電池は「はずれ」とされている工場で生産されたものだというところまで判明。(公式は「電池のあたりはずれ」の存在を否定しています。念の為)

 バッテリーは完全放電と充電を繰り返す「バッテリーリフレッシュ」という手段で復活する場合があると聞き、藁にも縋る思いで4日目の夜は充電器に繋がず就寝。うまく行けば放電が終わった5日目の朝、もう一度しっかり充電して私のiPhone6Sは華麗に再生産(©少女☆歌劇レヴュースタァライト)を遂げ、晴れ舞台に再び躍り出る――はず、でした。

 翌日。充電してもしてもしてもしてもうんともすんとも言わない。あの真っ黒な画面上の赤い電池のような「充電してます」マークすら出ない。冷や汗が背中を伝います。引っ越しその他もろもろで電話連絡待ちのタスクがめちゃくちゃ多かったからです。ばたばたしながら調べて、ここで初めて知った「初期不良個体」の存在。

 電池がダメなだけではなく、そもそも基盤そのものが不良で、一度電源を落とすと二度と電源が入らなくなるという、致命的な爆弾を抱えた6Sがあるのだそうです。私が引いた6Sもおそらくそのうちの1つ、ということでした。しかし、なぜかシリアルナンバーで検索を掛けた私のiPhoneは無料交換保証の対象外。Appleのカスタマーセンターのお兄さんが深く同情を示してくれたことは救いでしたが、優しさで基盤が復活することはなく、修理や交換に出すために1週間以上待つのも難しく。そもそも交換に出してやってきた6Sがまた不良個体だったら……地獄では……?

 6Sは文鎮になりました。私は中古ショップでキャリアフリーの8を買いました。5Sのキャリア縛りを外せばよかったんだろうけどなんか悔しくてな……弱いと笑うなら笑ってくれ……2台合わせてもリリースしたてだったころの6S買うより安かったからいいんだ……8はとてもいい子です。写真が綺麗に撮れるし音楽はクリアだし、ゲームをDLしても容量不足で動かなくなったりしない……あと、入力やページ移動で何かあると手の中で小さく振動するの、生き物っぽくて可愛い。

 でもみんな、スマホを買い替えるときは絶対に「機種名 不具合」で調べてからにしてくれよな……。

意識低く低く日本史を勉強しています

 今週のお題:私の勉強法


 ということで、意識低く低く1年くらい日本史を勉強していたら今年のセンターで70点くらい取れた(今年は易化してたらしいという噂も聞いたのであんまり誇れないかもしれないけれども)ので、何をしていたのかメモします。

 大学受験生の時は私立文系を世界史・国語・英語で受験したタイプの人間です。日本史の授業も取ってたけどほとんど記憶にありません。中学生の頃からそんなに得意ではなかった。大学の時、トチ狂って(今でこそ古典も日本史も好きだけど当時の自分に理解の下地が絶望的になかったことを考えると狂気の沙汰だとしか思えない)古典がメインの日本文学科に進み、日本史がほぼ分からないまま講義で聞いたまだらな知識だけで単位を取って卒業しました。お前何してるんだ感がすごいな……。学生の時も勉強しようとしたんだけど、本を読んでも目が滑って全然先に進めませんでした。寝られないしずっと不安だったしとっとと学校休んで心療内科行けばよかった。

 

 紆余曲折あって卒業後に教員免許(国語)を取るための勉強を始めました。古典も近現代文学も、教えるなら日本史の知識は必須だと思って一緒に勉強開始。

①通読できるなるべく薄い本を探す

 山川日本史がいいみたいな話を聞きますが私は軟弱者なので教科書の通読なんてよっぽどのことがないと無理です。
 教養文庫とかでいいのでできるだけ軽い内容で、日本列島ができてから敗戦くらいまでが駆け足でわかるものを探す。私はこれにお世話になりました。
世界一おもしろい 日本史の授業 (中経出版) 伊藤 賀一 

https://www.amazon.co.jp/dp/B0093SYVE6/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_t38jEbA42D6DJ

 横に置いたが最後一生読まないので、浴室に持ち込んで湯船につかったまま一気に一周しました。

②年号を暗記する

 流れを覚えてなくても年号さえ紐づけてあればどうにかなる。中学受験用の参考書から事件と年代とゴロを引っ張り出して、暗記カードを作れるアプリに登録します。登録したらひたすら回す。どんなにやる気がない日でもこれだけは回す。逆にこれさえやれば後は好きにしたらいい。
歴史年代暗記 改訂版 (中学入試まんが攻略BON!) 学研教育出版 

https://www.amazon.co.jp/dp/405303986X/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_078jEbA6W2ZJM

③高校生向けの受験参考書を読む

 買ったら絶対積まずに一気に読むのが大事。私は分厚かったり分冊だったりすると一瞬で心が折れるので、できるだけ薄くて巻数が少ないものを選びました。

超速!最新日本史の流れ―原始から大政奉還まで、2時間で流れをつかむ! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS) 竹内 睦泰 

https://www.amazon.co.jp/dp/4893086065/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_T.8jEbJCQEWNZ

③マンガを読む、ドラマや映画、ドキュメンタリーを観る

 やっぱりエピソードは強い。小中学生向けの学習漫画NHKの歴史ドキュメンタリーにかなりお世話になっています。
日本の歴史 | 角川まんが学習シリーズ|KADOKAWA 

mangagakushu.kadokawa.co.jp


 このシリーズは表紙に有名な漫画家さんが絵を描いていることが多くて手に取りやすい。好き。
英雄たちの選択 - NHK 

www4.nhk.or.jp


 こちらも録画して好きな回は繰り返し見返したり。

⑤アプリで問題を回す

 私は軟弱m(ry)問題集を開いてノートに、をやるとカバーガラスみたいにデリケートなやる気が折れます。スマホにアプリを入れてゲーム感覚で回すくらいでよろしい。
 旧国名の暗記もパズルでタイムアタックし続けたらかなり楽になりました。

あそんでまなべる 旧国名パズル -Digital Gene-

 

心理的なハードルを下げる」「大変そうなことは絶対やらない」「飽きたらやめる」というぬる~いテンションで、1年半くらい勉強を続けています。毎日続ける、とかもあまり意識しない方がやめちゃったときの罪悪感が少なくて自分を責めずに済むのでよいと思う。時間のない受験生とかにはあまり参考にならないかもしれませんが、こうやってダラダラダラダラやっている人間もいます。

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by ギノ

なりたい顔面は未だにちょっとよくわからないけれども

 昨年12月からのんびりと、服装やメイクに手を入れ続けています。

 今日は化粧の話です。

 何を塗るとどう顔面が変化するのかわからず、最低限の化粧品を『メイク道具同梱の取り扱い説明』を基に漫然と塗っていたのが、化粧を始めた大学入学直後~昨年の12月まででした。12月にZARA事変があり(本当はZARAだけでなくORiental TRafficとETUDE HOUSEにもお世話になりました。その節はありがとうございました)、その際買い換えた服に合わせて友人がノリノリで顔面をいじってくれました。
 それ以前に人にメイクをしてもらったのは成人式の振袖写真の時。美容師さんが頑張ってくださったのですが、つけまつげとアイラインのおかげかめちゃくちゃけばけばしい顔になってしまい、着物も相まって完全に『ザギンの女』と化した苦い思い出があります。振袖の写真ってもっとこう……若々しさとか初々しさとか出すもんじゃないの……? 知らんけど……。
 自分の普段がナチュラルメイク(というか塗ってんだか塗ってないんだかわかんない申し訳程度の化粧)だったのもあり、「私の顔は手数を掛けると怖くなるんだな……」と思って、肌を整えて血色を足す、から先の工程を敬遠し続けてきていました。
 ところが、友人が手持ちのメイク道具やら店頭の試供品やらで作ってくれた顔は、確かにそれまでに比べると濃いものの『ケバい』『怖い』という感じではまったくなく、
「厚く塗ったり手数を増やしたからって顔が怖くなるわけじゃないんだな!?」
という衝撃があったのです。

 そこから放浪の旅が始まりました。

 口紅の色をビビッドにしてみたり、ベージュしか持ってなかったアイシャドウに色物を足したり、コンシーラーやアイブロウをようやく手に入れたり、ハイライトやシェーディングを勉強してみたり。うまく使えないものは色があってない可能性もあるので違う型番を試したり。

 メイク道具に塗られるんじゃなくて、したいメイクを自分でコントロールできるようになってきたごく最近です。最初は全部出力を0か100にしかできなかったんですが、「ここを入れてここを抜く」ができるようになりつつあります。面接があった時に思った通りの顔で人前に出られて嬉しかったり、友人の結婚式に納得のいく顔で出られたりするのはとてもよい。

 メイクを勉強してて、メイクが上手くなるだけではない思わぬ副産物のようなものがあったので、以下につづけます。

 まず、失敗耐性が付きました。一発で正解を出さないと、という謎の縛りで人生を生きてきた人間だったんですが、化粧品界隈を散歩しているとどんなに気を付けても数歩歩いてすっころぶ、みたいなことが多いのでいちいち気にしてられなくなった。売り場で手の甲に塗って試しても限界はある。

 あと、人間の顔をよく見るようになりました。
 自分だとよく分からないのですが、割と眼力が強いタイプの顔をしているらしく、ガンを飛ばしているだの目つきが悪いだの虫の居所が悪い人の虎の尾をまったく無自覚に踏むことが多々あって、気づけば人間の顔を直視するのがかなり苦手になっていました。醜形恐怖っぽい思い込みも苦手に拍車をかけ、『人間の顔』に対する耐性とリテラシーはおそらく同世代の最低レベル。「なりたい顔は?」とか「好きな顔の芸能人は?」と訊かれても「……? 顔に違いがあるの……?」の状態です。人の顔と名前を一致させるのもめちゃくちゃ苦手。初対面の場で仲良くなっても、服や髪形を変えられると次に会ったらもう分からない、みたいなこともありました。

 メイクに慣れ始めると、まず「人前に出せる顔じゃないから視界に顔が入らないように俯き続ける」がなくなり、目の前の人の顔を(なんならニコニコしながら)見るのが平気になりました。
 それに昨今はYouTubeなんて便利なものがあり、投稿者さんが自他の顔をメイクする動画がゴロゴロしている。最初はそれですら「人の顔が……」という感じでちょっと辛かったのですが、トークが好きな投稿者さんが見つかってその動画を浴びるように見始めてから、どんどん『人間の顔』耐性がついていきました。『人間の顔』、私の中だと神か幽霊みたいなポジションだったのが、メイク動画の中だと『色と凹凸の集まり』というキャンバスみたいな扱いなので、そういう視点で見るとあんなに怖かったのが『所詮いきものの部分』『色を塗る前/塗ったあとの何か』になってしまう。不思議な感じがします。
 そして美しい顔面を作る過程を動画で観始めると、今度は気になるのが女優さんの顔。今までは台詞と雰囲気でだけ認識していたのに、今度は『好みのメイクの人』『自分の顔の造形に近い人』『キャラクターとメイクの関係』を気にしながらドラマや映画を見るようになり、画面の情報量が爆増しました。最近は家族が見ているリーガルVの女優さんの顔をひたすら追いかけている。そして、女優さんの顔を見ていると「過剰な役は過剰に、そうでない人は抜くところを抜いたメイクをしている」ことがわかり、全部濃いメイクを見直すきっかけができました。字にすると当たり前のことですが、人間の顔が全部同じに怖く見えていた頃を考えると大進歩である。 

 勉強、してみるものですね。

 

 まあ、最近は新しい化粧品や服よりショッピングに耐え得る体力がほしい。パーソナルカラーとやら、盛大に迷子なので似合う色や形は試さないと分からないんだけど、人でごった返すショッピングモールを歩いてると(何せ他に娯楽のない田舎なのでみんなそこに来てしまうのです)それだけで体力が吸われて何もできないままおうちに帰ることがたびたびある。何をしに来ているのだお前は。

 リングフィットアドベンチャー買うか……? その辺走ってもいいんですけど猪出そうで怖くて……さむいし……(言い訳が多い……)。

秋の記憶を失う、日暮れ

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 気が付いたら秋が終わっていました。こんばんは、未明です。

 今年の一年間を振り返って、と思ったんですが、予想以上にあちこちの記憶を欠いていることがわかりました。この日記を読み返して「ああそういえばこんなこともあったっけ」と他人のように思い返しています。
 かつての職場の上司が、「君は20代だからさ、1年だって20といくつ分の1だけど、俺なんかもう1年は人生の40分の1だからね。すごいスピードで飛び去って行くんだよ。どうしようかと思うよ」と言っていました。年齢がかかわってくるのは時の流れの体感速度だけでなく、記憶の鮮やかさも同様ではないのかしら、と思うこの頃です。

 些細なことはもう何も思い出せない。大量の記憶の中に、しかも、想起も出来ないような「あんなことがあったような」亡霊のような霧の中に押し流されて消えていく。

 もう少し、記録するということを大事にしてもいいのかもしれません。

 記憶が鮮やかだった子供の頃より今のほうが、忘れたくない楽しいことが増えているという実感だけ、手の中に残っています。楽しい夢から醒めたあとみたい。

えげつない百合PVが素敵すぎる洋楽を和訳していた

 消したとばかり思っていたブログが細々と生き残っていたことがわかったため、コンテンツを救い出してきた。旧ブログは消す。こちらも、権利の関係等で問題が発生した場合消します。

 

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 寄宿舎学校、厳格なしきたり、ひそかな反発、少女たちのカルト、駆け落ち、のワードの中にひとつでも刺さるものがあったらご覧になっていただきたい映画のようなPVで大好きなZolitaの『HOLY』。男性に従属する良妻賢母を育てるための全寮制の学校で、先生方のいちばんのお気に入りだった少女が学校の思想に反するカルトを立ち上げ、同期の少女と恋に落ちる。しかし、赤毛の少女が密会の現場を目撃し、教師たちに自分が見たものを密告してしまう――、という筋立てになっています。エンディングが結構ショッキングなので苦手な方は注意だ。

 深い森の中でトランスに入って踊る女の子がただただ神々しい、歌詞や台詞が聞き取れなくてもただただ美しさと「ヤバいものを見ている」という感覚で殴り倒してくるおそろしいPVで定期的に見てしまう。

 歌詞についても、あまりにも美しい狂信という感じで大層素敵だったのですが、和訳しているところが見つからなかった(私の検索リテラシーの問題かもしれない)ので日本語にしてみました。勉強らしい勉強を8年くらいしてない人間の訳な上に直訳もしていないため、これは訳ではなくて解釈とかだと思ってください。

 

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なつがきた。

 2か月更新を休んでも来てくれる人が途絶えないのがすごいところ。いらしてくださるみなさま、ありがとうございます。

 

 たしか去年の今くらいの時期にぱったりと仕事へ行けなくなったのだと思いますが、あれから一年経ったんだなあ、すごいなあ、激動だなあ、と思っています。就職浪人してた頃の職場に戻って仕事をはじめ、字を書いたり人と喋ったりし、昔ぼんやりとやりたいと思っていたことが結構叶っていて嬉しいです。似合う服を手に入れるとか、一度ゆっくり話してみたかった友人との往来ができたりとか、本を出せるだけの分量の長編を書くとか、もういちど大学で勉強するとか。

 ずっと前に連絡を途絶えさせてしまった人から電話があり、忘れられていなかったのだなあ、と感慨を覚えたりもしていました。向こうからしたら私の存在は触れたくない災難のようなものだと当たり前のように思っていたのだけれど、こういう私の中での「当たり前のこと」がここ数年でずいぶんと崩壊しました。

 なりたい自分になれているかと言われると微妙な部分もありますが、そういう自分を「そんなものだ」と諦められるようになっただけ大進歩だなと思います。自分を諦めるのは大事だ。だいたい理想は大きすぎるんだ。大きすぎる理想に届かないことを、自分をいじめる理由にしなくてもいいんだ。

 

 それはそれとして勉強はもうちょっとがんばりたい。今週末から遠くでのスクーリングです。なんとか生きて帰ってきたいと思います。

 

 なつがきたことだ。