かくりよ書房夜明け分館

服飾、文芸ほか雑記

ちいちゃんのかげおくりとごんぎつねと涙腺

 小学生の頃、居間のテレビで金曜ロードショーの『火垂るの墓』を見ていると「あっ、だめ、わたしこれ可哀想で見れない」と母がすっと寝室に消えていくのが不思議でした。燃え上がる街、ぼろぼろになったおかあさん、疎開先での居場所のなさ、やせ衰えていく妹、後を追うように亡くなるお兄ちゃん、たしかに可哀そうな要素は山盛りだけど観られなかったり泣いたりするほどか……? と思っていた。

 

 思っていたのです。過去形です。

 今の私には火垂るの墓はおろかちいちゃんのかげおくりもごんぎつねもおそらく無理である。

 

 国語の読解が苦手な子の宿題をみていたときに、「自分がどの字を読めてないか分かったほうがいい、あと、意味が分からない言葉はひらがなで書かれてても上手に読めないことが多いから、まず声に出して全部読んで、ひっかかるところを探してみようか」と、出題されている文を読んでもらったことがあります。社会と経済、みたいな真面目な話の次にやってきたのが、病院が舞台の小説の一部分でした。

 致死性の病の末期である年配の患者さんに不安がられないように、若いお医者さんが病気の告知をする場面。患者さんを不安がらせまいとつとめて淡々と病気の話をする(ただし余命については触れられない)お医者さん。なんとなく自分の余命を察しているのか、納得しているのかそれとも納得したいのか分からないけど穏やかに話を聞いて、「これでいいんです」とうなずき、「私は最期までここにいていいですか」と尋ねる患者さん。

 やばい。目の奥が熱い。

 彼女と同じくらいの年の頃なら全然「ほーん」という感じで読めていたはずのところで涙腺がやばい。

 お医者さんと患者さんの両方に感情移入してしまってやばい。もう自分にできることなんかほとんどない状態で、せめて穏やかに最後の日々を送ってもらう手伝いをするしかないお医者さんと、自分の死期がなんとなくわかってるから、一生懸命な若い先生に心配をかけたり悲しい顔をさせたくないお年寄りの感情がひしひし伝わってやばい。書かれている以上のことを勝手に読み取ってしまってやばい(これはおそらく私が原作の設定を勝手に膨らませて二次創作小説を書くオタクであることにも由来しています)。おそらく年を経たらさらに違う角度からもっと感情移入してしまう気がする。本当にやばい。

 教え子ちゃんはけろっとした顔で「えーと、う、う、うちひしがれる……」みたいな感じで、特に感情も入れず、つっかえながら淡々と読んでくれているのに横で私が涙をこらえながら小刻みに震えるあのCMのチワワみたいになってる。温度差がすごい。グッピーが死ぬくらい温度差がすごい。教え子ちゃん。頼む。気づかないでくれ。私が横でくぅ~ちゃんになってることを知らないままでいてくれ。

 結果として泣かずに済んだので気づかれませんでした。指導も無事に終わりました。

「ごんぎつね」や「ちいちゃんのかげおくり」の音読を聞くのが苦行だと言っていた知人の気持ちがわかりました。

 やばい。

 

 後ろでタイタニックの予告編が流れています。こんどBSでやるみたいですね。

 絶対見ない。だってやばいもん。

 人間の感情についての知見を得る前に悲しい話を大量に読んでおいてよかった。