かくりよ書房夜明け分館

服飾、文芸ほか雑記

地獄から外

*途中まで相当暗い表現があります。引きずられてしまいそうだ、と思ったら、読むのをやめて犬や猫の動画を眺めてください。

 

 もともと、外からの評価を過剰に気にする性質でした。

「これは変だと思われるから」
「嫌な顔をされるから」
「誰かに話したときにうまく説明できないから」
外聞が悪いから」

 これで随分いろいろなことをやめたし、やりたくないことをやってできなくて、できないとまた攻撃されることに怯えました。

 目の前にいる人間からの承認を得られないと居場所がなくなって死んでしまうと思っていました。いっしょにいる相手の思う通り動かずに不興を買ったら全部終わりだと思っていて、そして、それは目の前の相手に自分が鏡写しにぶつける呪いでもあったと思います。

「どうして、私はあなたの言うことを言われる前に聞いてあげているのに、あなたは私の言うことを聞いてくれないの」

「私の言うことを聞いてくれないあなたなら、私にひどいことをされても仕方ないよね」

 

 このところ1年とすこしくらい、こういう自分では本当にどうにもならないということを実感し続けてきました。どれだけ苦しくなっても、人に助けを求めるのも、自分の意見を通すのも何もできないまま、職場で体調を崩しました。新しいことを始めようとしても、どうしても周りの評価が気になる。二十数年こうやって生きてきたやり方なので今さらどうにもならないとも思ったけど、じゃあ私はどうやって生きて行けばいいんだろう。もう生きていくのは無理なんだろうか。

 できないことを気にしなければいいのかもしれないけど、私にはそれができない。

 これからもずっと私はこれを繰り返してやっていくんだろうか。

 絶対に嫌なのに。嫌ならもう、死ぬしかないんじゃないだろうか。

 

 真っ暗な気持ちのまま、自分の命日を仮に設定して、貯金の残額と手続きにかかるお金を算出して、本当にだめだったらせめて自分が決めたこの日でおしまいにしよう、と思っていました。

 

 別に何があったわけでもないです。
 ある日、ぼうっとお風呂につかっていたら突然、「飽きたな」「もういいな」と、体の周りを囲っていたプラスチックの膜みたいなものが剥がれて落ちる感覚がありました。

 自分や自分の機嫌を人質にして言うことを聞かせようとした家族を恨み続けるのも、周囲と同じようにできない自分を過剰に責めて死にたくなるまで追い込むのにも、人の評価を気にしながら評価を下してくる人間を仮想敵とみなして死ぬほど憎むのも、唐突に飽きてどうでもよくなりました。

 どうでもよくなった瞬間「誰かが自分をこう思ってるからこう動かなくちゃ」もちょっとだけマシになり、「自分が決めた通り動いていいんだ」が実感を伴ってやってきました。それまでは「数年越しの計画なんて立てられない」と思ってたのに、「いつどこで何をしていきたい」が、突然考えられるようになりました。今就活と将来設計がすこし楽しいです。前は振り回されている自分しか想像できなかったのに。

 

 本当に何があったわけでもないんだけど、おそらくポイントが満了になったんだろうなと思う。それまでずっとこつこつ貯めてきたよくわからないポイント。本を読んだり人と話したり、仕事をしたり、新しい服を着てみたり、医療機関に頼ったり、占ってもらったりカウンセリングやセッションを受けたり、何かに所属したり何かを作ったりしてきたポイント。私はこういう人間であるらしい。私はこれが好きらしい。私はこれができるらしい。私はこれが苦手らしい。でも、それはどうやら致命的な欠点ではないらしい。

 劇的な変化の契機になるような場面ばかり求めてきたけど、そればかりでもないんだな、と思いました。これまで積んできたことがある日突然何の前触れもなく、殻を破っていく日もある。

 殻はひとつじゃない可能性が大いにあるので、明日また、もっと楽になるかもしれない。

 死んではいられないな、と思う春の初めです。

 桜も咲くのでね。